「お母さんが離れられていないからですね。」
不登校のお子さんを育てている親御さんなら、一度はそんな言葉を耳にしたことがあるかもしれません。
もちろん、過干渉や過保護が子どもの自立を妨げ、不登校の背景になるケースはあります。そのことを否定したいわけではありません。
でも私は、この言葉だけで目の前の親子を説明してしまうことに、ずっと違和感がありました。
なぜなら、「親が離れられていない」という今の姿だけを見ても、その親子がここまで歩んできた時間は見えてこないからです。
私はメンタル系医療従事者として働く中で、心の不調から少しずつ回復していく方々と関わってきました。そして、不登校を経験した子どもの親でもあります。
その両方を経験して感じるのは、人は「今」の姿だけでは理解できないということです。
その人がどんな経過をたどり、どんな苦しみを抱え、どんな支えの中でここまで来たのか。その背景を知って初めて、本当に必要な関わりが見えてくるのではないでしょうか。
「親が離れられない」のではなく、「離れられなくなった」のかもしれない
私は、この話は「卵が先か、鶏が先か」に少し似ていると思っています。
「親が離れられないから不登校になった」のか。
それとも、「不登校になったから親が離れられなくなった」のか。
もちろん、前者のケースもあるでしょう。
でも実際には、後者のような経過をたどる家庭も少なくないのではないでしょうか。
朝になると腹痛や頭痛を訴え、起き上がれない。
学校に行きたいのに行けない
と泣く。
食欲が落ち、眠れなくなり、自分を責め続ける。
そんな姿を目の前で見ている親が、「自立のためだから」と急に距離を置くことは、簡単ではありません。
私自身もそうでした。
毎日考えていたのは、
「どうしたら学校へ行けるようになるだろう」ではなく、
今日はどうすれば少しでも楽に過ごせるだろうか
ということでした。
朝は眠れただろうか。少しでも食べられるだろうか。今日は笑顔が見られるだろうか。
そんなことばかり考えていました。
今振り返ると、あの頃の私は「学校へ行けない子どもの親」というより、「苦しむ子どもを看病している親」の感覚に近かったように思います。
もちろん、不登校を病気だと言いたいわけではありません。
ただ、目の前で苦しむ我が子を見れば、「自立のためだから」と突き放すより、「少しでも楽になってほしい」と願いながら寄り添うのは、ごく自然な親心ではないでしょうか。
だから私は、「親が離れられていない」という言葉だけでは、多くの親子の姿を説明しきれないように感じるのです。

回復には、順番があるという考え方
そんな中で、私がとても納得したのが、「不登校には回復の段階がある」という考え方でした。
不登校支援では、回復にはいくつかの段階があると考えられています。
もちろん、すべての子どもが同じ経過をたどるわけではありません。
回復のスピードも違えば、途中で戻ることもあります。
それでも、「今どの段階なのか」という視点を持つことは、親の関わり方を考える上で大切なヒントになると私は感じました。
●安心して休む時期。
●少しずつ外へ目を向け始める時期。
●小さな挑戦を重ね、自信を取り戻していく時期。
もし今が安心して休む時期なら、その子に必要なのは、「頑張ろう」という励ましよりも、「ここなら安心して休める」という環境なのかもしれません。
人は安心を土台にして、次の一歩を踏み出していく
この回復の流れを見た時、私が思い浮かべたのが、心理学者アブラハム・マズローの「欲求段階説」です。
マズローは、人の欲求には段階があり、生理的欲求や安全の欲求といった土台が満たされることで、所属や承認、自己実現へと進みやすくなると考えました。
現在では、「すべての人がこの順番どおり」という理論ではないことも指摘されています。しかし、人の動機づけや回復過程を考える上で、今でも広く知られている考え方の一つです。
例えば、お腹が空いている人に「夢を持とう」と言っても、その言葉は届きにくいでしょう。
安心して眠れない人に「自立しよう」と言っても、不安が強くなるだけかもしれません。
まずは眠れること。
食べられること。
安心して過ごせること。
その土台があって初めて、「少しやってみようかな」という気持ちが芽生え、自分の力で前へ進もうという意欲につながっていきます。
私は、不登校の回復も同じではないかと考えています。
心身の不調が強く、まず休むことが必要な時期には、安心という土台が大切です。
だからこそ、多くの親は「看病するように寄り添う」のだと思います。
それは自立を諦めたからではありません。
回復を信じているからこそ、まず必要な土台を一緒につくっているのです。
親の役割も、子どもの回復とともに変わっていく
もちろん、ずっと同じ関わり方を続ければいいとは思っていません。
安心して過ごせるようになり、「散歩なら行けそう」「図書館なら行ってみたい」といった気持ちが芽生えてきたら、親の役割も少しずつ変わっていきます。
寄り添う。
伴走する。
そして、少しずつ見守る。
子どもの回復に合わせて、親の関わり方も変化していくのです。
私は、「寄り添うこと」と「自立を諦めること」は違うと思っています。
急性期に寄り添うことは、自立を遠ざけることではありません。
むしろ、自立へ向かうための土台づくりなのではないでしょうか。
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「親が離れられていない」という一言で終わらせないでほしい
私は、「親が離れられていない」という考え方を否定したいわけではありません。
ただ、その言葉を口にする前に、一度だけ立ち止まって考えてほしいのです。
この親子は、ここまでどんな時間を過ごしてきたのだろう。
どんな苦しみがあり、どんな小さな前進を積み重ねてきたのだろう。
人は、「今」だけでは語れません。
その人には、その人だけの経過があります。
不登校も、子育ても、人との関わりも。
「今見えている姿」の奥にある時間まで想像できる人が、一人でも増えたら嬉しいです。

参考にした考え方
この記事は、不登校支援における「子どもの状態に応じた支援」や、回復には段階があるという考え方、そしてマズローの欲求段階説を参考にしながら、私自身の経験をもとに考察したものです。
※すべての不登校の子どもが同じ経過をたどるわけではありません。この記事は「こうすべき」という正解ではなく、親子の経過を見るための一つの視点として読んでいただけたら嬉しいです。
❀moyu❀