『自責思考が大事』
仕事でも、人間関係でも、よく耳にする言葉です。
問題が起きたとき、誰かや環境のせいにするのではなく、自分にできることを考える。
失敗から学び、次に活かす。
その考え方自体は、決して間違っていないと思います。
けれど私は最近、あることに気づきました。
私や不登校の子を持つ親御さんは、自責思考をしているつもりで、自己モラハラをしていたのかもしれない、と。
自責思考と自己モラハラは似ているようで違う
自責思考とは、本来、
「自分にできることは何だっただろう」
「次はどうしたらいいだろう」
と考えることです。
反省はするけれど、目的は問題解決や成長。
未来に向かっています。
一方で自己モラハラは、
「私が悪い」
「私がダメだからこうなった」
「もっとちゃんとしていれば」
と、自分自身を責め続けること。
反省しているように見えて、実は前に進めていません。
行動を振り返るのではなく、人格そのものを否定してしまう。
それが自己モラハラです。
自己モラハラは、真面目な人ほど陥りやすい
自己モラハラに陥りやすいのは無責任な人ではありません。
むしろ、

そんな人たちです。
だから、不登校の子を持つ親にも多いのではないかと思います。
子どものことを本気で大切に思っているからこそ、
「私にできたことはなかったのか」
と考え続けてしまうのです。
不登校の親が陥る“終わらない反省会”
にいすけが不登校になった頃、私は何度も過去を振り返りました。
もっと早く気づいていたら。
先生にもっと強く伝えていたら。
習い事を休ませてたら。
学校との関わり方をうまく変えられていたら。
もっと話を聞いていたら。
もっと休ませていたら。
もっと頑張らせていたら。…
答えの出ない「もしも」を、何度も何度も繰り返しました。
でも今振り返ると、それは反省というより、自分を責め続ける行為だったように思います。
何時間考えても過去は変わらない。
変わらない過去を責め続けることは、前進ではなく、自分を傷つけることだったのかもしれません。
「自責思考こそ常に最善」と思う人の大いなる盲点 行き過ぎた「自罰思考」で自らを追い詰めない為に | キャリア・教育 | 東洋経済オンライン
強すぎる自責は思考を硬直させてしまうので、建設的な改善点の発見が難しくなってしまうようですね。
リラックスしていないと前向きな案って出てこないですもんね🤔
モラハラと自己モラハラはよく似ている
私は過去にモラハラのある結婚生活を経験しました。
否定される。
責められる。
できたことより、できなかったことを指摘される。
どれだけ頑張っても認められない。
そんな日々の中で、いつの間にか
「私が悪いのかもしれない」
と思う癖がついていました。
離婚して、その環境から離れたはずでした。
でも不登校と向き合う中で、私はまた同じことをしていたのです。
「あの時気づけなかった私が悪い」
「もっと良い母親だったら違ったかもしれない」
「ちゃんとできていない」
他人から責められる苦しさは知っていたのに、今度は自分で自分を責めていました。
攻撃する人がいなくなった後も、心の中に“責める声”だけが残っていたのです。
今振り返ると、とても不思議です。

モラハラをする人は、問題が起きると
「お前が悪い」
と責任を相手へ向けます。
特に自己愛性パーソナリティ傾向の強い人は、自分の失敗や不都合な現実を受け止めることが苦手な場合があります。
そのため、
仕事がうまくいかないのは上司のせい。
夫婦関係が悪いのは配偶者のせい。
子どもの問題は親や学校のせい。
というように、自分の外側へ原因を求めやすくなります。
一方で、自己モラハラの人は
「私が悪い」
と責任を自分へ向けます。
仕事で失敗したら、
「私の能力が低いからだ」
子どもが不登校になったら、
「私の育て方が悪かったからだ」
人間関係がうまくいかなかったら、
「私に価値がないからだ」
と考えてしまいます。
向いている方向は正反対です。
けれど、どちらにも共通点があります。
それは、複雑な問題の原因を一人に押し付けてしまうことです。
モラハラをする人は相手へ。
自己モラハラをする人は自分へ。
責任の向け先が違うだけで、
「誰か一人が悪い」
という考え方そのものは似ているのかもしれません。
でも現実は、そんなに単純ではありません。
夫婦関係も。
不登校も。
心の不調も。
仕事の問題も。
一つの原因だけで起きることはほとんどありません。
価値観。
環境。
人間関係。
体調。
性格。
タイミング。
様々な要因が重なり合っています。
不登校も同じです。
学校だけが悪いわけではない。
親だけが悪いわけでもない。
本人だけが悪いわけでもない。
学校環境もあった。
体調の問題もあった。
気質や特性もあった。
家庭環境の変化もあった。
いくつもの要因が積み重なって今があります。
それなのに「全部私のせい」という結論だけを握りしめていました。
それは正しい自責思考ではありませんでした。
自分を成長させるための振り返りでもありませんでした。
ただ自分を責め続けるための思考。
自己モラハラだったのかもしれません。
今は、「誰が悪かったのか」よりも、「何が起きていたのか」を考えたいと思っています。
犯人探しではなく理解。
責任追及ではなく整理。
そうやって見つめ直した時、
初めて少しだけ、自分自身を許せるようになった気がしています。
自責思考も他責思考も、一方に偏らず、必要に応じて振り子のように行き来しながら思考することが大事ですね😌
📝過去ブログ…多因子の問題を、善悪二元論で潰している〜「他責思考」という言葉に感じるズレ〜
「80点は0点」という考え方
モラハラの特徴の一つに、
完璧じゃないなら意味がない
という考え方があります。
でもこれは、自己モラハラにも当てはまります。
例えば不登校。
- 外に出られた
- 笑顔が見られた
- 友達と話せた
- 散歩できた
- ペットの世話ができた
- 行事に参加できた
本当はたくさんの前進がある。
それなのに、
でも学校には行けてない
の一言で全部を0点にしてしまう。
これって、とても苦しいことだと思うのです。
子どもにも。
そして親自身にも。
メンタルヘルスに関わる医療従事者として出会った“全部自分のせい”の人たち
私はメンタルヘルスに関わる医療従事者として働いています。
その中で、
「全部自分が悪いんです」
と言う方にたくさん出会ってきました。
でも話を聞いていくと、本当に全て本人の責任だったケースはほとんどありません。
家庭環境。
職場環境。
病気。
特性。
人間関係。
様々な要因が重なっている。
それなのに本人だけが全責任を背負っている。
私はそれを見てきたはずなのに、自分のことになると同じことをしていました。
自責思考は必要。でも全部背負う必要はない
私は今でも、自責思考そのものは大切だと思っています。
学校が悪い。
先生が悪い。
社会が悪い。
そう言って終わってしまえば、前に進めないからです。
でも同時に、
全部を自分の責任にする必要もない。
とも思います。
不登校は親だけで起きるものではありません。

様々な要因が絡み合っています。
だから必要なのは、
「全部私のせい」ではなく、
「私にできることは何だろう」
という視点なのだと思います。
自己モラハラに気づく目印
もし今、
同じことを何度も考えている。
考えても解決策が出てこない。
気分だけが落ち込む。
過去ばかり見ている。
そんな状態なら、
それは反省ではなく自己モラハラになっているのかもしれません。
反省は未来へ向かいます。
自己モラハラは過去に縛り続けます。
その違いに気づけるだけでも、少し心は楽になる気がします。

医師対応のサービスもあり、心療内科や精神科の受診を迷っている方にも安心です。
継続的にカウンセリングを受けたい方と、目的に応じて使い分けられるのも良いなと感じました😊
定額制で利用しやすく、継続的に心理サポートを受けたい方におすすめです。
医師対応はありませんが、心理師による丁寧なサポートが受けられます😊
おわりに
不登校の親は、十分すぎるほど考えています。
十分すぎるほど悩んでいます。
十分すぎるほど自分を責めています。
だからこそ、これ以上自分を傷つけなくてもいい。
「あの時の私は、あの時できることをしていた」
「今の私にできることを探していけばいい」
そう思うことは甘えではありません。
自分を責め続けることよりも、親子で今日を少し楽に生きること。
私は今、その方がずっと大切なのではないかと思っています。
❀moyu❀