不登校が増えたのではない〜「苦しさの表れ方」が変わっただけかもしれないという話

不登校・子育て

不登校が増えたのではなく、「苦しさの表れ方」が変わっただけなのではないか

「昔は不登校なんて少なかった」
「今の子は弱い」

そんな言葉を、今もよく耳にします。

でも本当にそうでしょうか。

私は、昔も苦しさを抱えた子どもはたくさんいたと思っています。
ただ違っていたのは、「行けない」と言える環境が、ほとんどなかったことです


昔は「登校が当たり前」だった

高度経済成長期から1980年代頃まで、
学校に行くことは疑う余地のない前提でした。

多少つらくても行く
泣いても行く
体調が悪くても行く
合わなくても我慢する

「みんな行っているんだから、あなたも行きなさい」

それが善意であり、正義であり、しつけでした。

その中で、学校に強い違和感や不安を感じる子どもたちは、逃げ場のない状態に置かれていたのだと思います。


「不登校になれなかった」子どもたち

当時、不登校はほとんど選択肢にありませんでした。
だから、行けなくなった子どもたちは、別の形で苦しさを抱えました。

原因不明の腹痛や頭痛
強い不安
無気力
自己否定
抑うつ
心身症

それは「甘え」でも「怠け」でもなく、
心が限界を迎えたサインだったはずです。

けれど当時は、それが十分に理解されず、
「気の持ちよう」「根性が足りない」と処理されることも多かったのです。


現代は「不登校」という形で表に出るようになった

一方で今は、「行かない」という選択肢が、社会的に可視化されました。

無理をさせない
休むという判断
心を守るという考え方

その結果、
昔なら無理に登校させられていた子どもたちが、
不登校という形で苦しさを表に出せるようになった。

これは「問題が増えた」のではなく、
見えなかったものが、見えるようになったとも言えます。


精神疾患は20年で倍増しているという事実

実際、日本では精神疾患を理由に医療機関を受診する人が、この20年ほどで2倍以上に増えています。

これは偶然ではありません。

無理を強いられる社会構造
過度な競争
同調圧力
失敗が許されにくい空気
SNSによる比較と評価

こうした要因が重なり、
「学校に行く・行かない」に関係なく、
心を病む人が増えているのです。

親として感じる違和感と、数字が示す現実

不登校を経験した親として、私が強く感じていることがあります。

それは、「不登校=特別な問題」という見られ方と、現実との間に、大きなズレがあるということです。

実際に向き合ってみると、学校に行けなくなった理由はとても単純で、同時にとても複雑でした。決して怠けていたわけではなく、決して甘えていたわけでもない。むしろ、「行かなければならない」「期待に応えなければならない」そうやって無理を重ねてきた末に、心と体が動かなくなった、という印象が強く残っています。

精神疾患の増加は、個人の問題では説明できない

厚生労働省の調査によると、精神疾患を理由に医療機関を受診する人の数は、この20年で2倍以上に増えています。特に、うつ病不安障害適応障害といった「ストレス関連疾患」の増加が顕著です。これは一部の人の弱さや、家庭環境だけで説明できる数字ではありません。社会全体が、人に無理を強いる構造になっている。そう考えなければ、この増え方は説明がつかないように思います。

「行けていた人」も、苦しんでいなかったわけではない

不登校が少なかったとされる時代にも、精神的な不調を抱える人は確かに存在していました。

ただ、その多くは「不登校」という形では表に出ず、別の形で苦しさを抱え込んでいたのだと思います。無理をして登校を続け、社会に出てから限界を迎えた人。長年、生きづらさを抱えながら「自分が弱いのだ」と思い込んできた人。

そうした声が、今になってようやく「精神疾患」や「生きづらさ」という言葉で語られるようになってきました。

不登校は、社会の変化を映す鏡

不登校は、社会の歪みや息苦しさを一足早く映し出している現象なのかもしれません。学校という小さな社会で起きていることは、やがて大人の世界でも起こります。過度な競争・同調圧力・失敗を許さない空気…それらに適応できなかった人が、子どもなら不登校に、大人なら心の不調として現れている。そう考えると、不登校と精神疾患は対立する問題ではなく、同じ地続きの社会問題だと感じています。

「登校できるか」より、「壊れていないか」

親として願うのは、「学校に行ける子になること」ではありません。心が壊れずに、自分の感覚を信じて、生きていけること。数字が示しているのは、すでに多くの人がそのラインを越えてしまっているという現実です。だからこそ、不登校という現象だけを切り取って問題視するのではなく、その背景にある社会のあり方にも目を向ける必要があるのだと思います。


問題は「不登校」ではない

ここで、私ははっきり言いたいと思います。

問題なのは、
不登校が増えたことではありません。

問題なのは、
人が生きていくには、息苦しい社会になっていること。

不登校であろうと、
無理に登校していた子であろうと、
心が壊れてしまう事例が増えている。

それこそが、
社会のあり方そのものに問いを投げかけている事実だと思います。


「登校=正義」という考えの危うさ

登校は本来、目的ではなく手段です。

学ぶため
人と関わるため
社会とつながるため

とはいえ苦しさを改善しない状態で、
「とにかく行け」「行くことが正しい」と押しつけるのは、
あまりにも浅慮だと感じます。

心が壊れてしまってからでは、
出席日数も、成績も、何の意味も持ちません。


今、必要なのは

不登校かどうかを裁くことではなく、

なぜここまで苦しい社会になったのか
なぜ子どもも大人も追い詰められているのか
どうすれば心を守りながら生きていけるのか

そこに目を向けることだと思います。


かもみ〜る
医師+公認心理師対応
詳しく見る


カウンセリングを受けたい方へ
医師対応のサービスもあり、心療内科や精神科の受診を迷っている方にも安心です。
継続的にカウンセリングを受けたい方と、目的に応じて使い分けられるのも良いなと感じました😊



公認心理師対応 月額制

公認心理師対応
月額制で利用しやすい
詳しく見る


カウンセリングを受けたい方へ
定額制で利用しやすく、継続的に心理サポートを受けたい方におすすめです。
医師対応はありませんが、心理師による丁寧なサポートが受けられます😊


おわりに|不登校は「問題」ではない

不登校は「問題」ではありません。
不登校は、問題が表に出た結果です。

そしてそれは、
子どもたちが弱くなったからではなく、
社会が人に優しくない構造になっているから。

「登校=正義」という単純な物差しでは、
もう測れない時代に来ているのだと思います。


❀moyu❀

不登校が増えたのではない〜「苦しさの表れ方」が変わっただけかもしれないという話
「本人抜きで決めないで」――不登校の“進路会議”で感じた違和感と、母としての決意
不登校の息子に見えた“抑うつのサイン”──心が弱ったときのSOSを見逃さないために
学校に行ける子は偉い?不登校の子は偉くない?その考え方の落とし穴
不登校の子が母に伝えた信頼の言葉──子育てが報われた夜
「人生やり直したい」〜不登校の中1長男の言葉から考える「選択」と「後悔」
苦手より『得意』を伸ばす──WISC結果から見えた子どもの可能性」
「HSC気質の子ども、不登校からの第一歩〜本人主体で進める段階的アプローチ」
【体験談まとめ】わが家の不登校と向き合う道のり|親の学びと実践
不登校支援で迷子になった日。制度の線引きと、わが家の方向転換(宝物ファイル実践記)

Follow me!

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました