
「学校に行ける子は偉い。不登校の子は偉くない」
そんな言葉を耳にすることがあります。
でも実際に、登校している子と不登校の子、両方を育てている立場からすると、そんなに単純に分けられるものではありません。
「偉い」という言葉の使い方が、時に誤解や分断を生んでしまうことがあるからです。
Contents
「偉い」という言葉の定義と誤解
辞書的に「偉い」とは「他より抜きん出て優れている」「地位や身分が高い」といった意味を持ちます。
つまり“比較”や“上下”を前提にした言葉。
そのため、「学校に通っている子=偉い」「行けない子=偉くない」と、安易に二分されてしまいがちです。
これが、言葉の裏にある落とし穴じゃないかなと思います。
本当は、その子自身の頑張りを讃える意味で言ってるだけなのにね。

不登校の子が見えないところで頑張っていること
不登校の子は「遊んでいる」「甘えている」と見られがちです。
けれど実際には――
不登校の子どもの苦悩
不登校の子どもの苦悩
🗣 自分のしんどさを言葉にする勇気
- 「本当はつらい」と言うことすら怖い
- 誰に・いつ打ち明けるか迷う
- 受け止めてもらえるか不安で言葉が詰まる
👁 周囲の偏見や視線に耐える力
- 「甘え」扱いされがちな誤解
- 「なぜ行かないの?」という無数の視線
- 誤解と戦いながら自分を守る消耗感
💗 崩れた自己肯定感を取り戻そうとする過程
- 「自分には価値がないのでは」と感じる
- 小さな成功・安心体験を積み重ねる
- 周囲の理解と受容が大きな支えになる
こうした“見えない努力”を続けています。
ゲームをしたり、YouTubeを観たりしているかもしれません。
でもそれは、弱ってしまった心を落ち着けるために没頭している場合があります。
本人はまだ言語化の未熟な子供です。
色んな過程や原因をすっ飛ばして「いつもゲームしてる。」とか言っちゃったりするんですよ…。
周りも子供。だから「ズルい!!」って鵜呑みにする。それを保護者も信じる。
伝言ゲームみたいですね。
不登校の子供たちは、学校に毎日通うこととは違うけれど、別のかたちで必死に踏ん張っているのです。
登校している子どももまたギリギリで踏ん張っている
一方で、学校に通えている子どもたちの中にも、実は限界ぎりぎりで頑張っている子が少なくありません。
体調が不安定なのに「休んじゃダメ」と自分を追い込む子。
周囲の期待に応えようと気持ちを押し殺す子。
「行けている=余裕がある」わけではなく、背伸びしながら何とか日常を保っているケースも多いのです。
今の世の中の不協和が子どもを追い詰めている
本来、学校は安心して学べる場のはずです。
けれど実際には――
📍 社会の中で取り残される子どもたち
- 🌀昔から変わらない同調圧力や形だけのルール
- 🌈「多様性」を掲げながら、実際はまだ整っていない支援体制
- 👁️周囲の「普通」に合わせられない子への厳しい視線
こうした不協和の中で、子どもたちは余計な傷を負っています。
不登校かどうかに関わらず、子どもが生きづらさを抱えてしまっている現状こそ問題なのです。
医師対応のサービスもあり、心療内科や精神科の受診を迷っている方にも安心です。
継続的にカウンセリングを受けたい方と、目的に応じて使い分けられるのも良いなと感じました😊

定額制で利用しやすく、継続的に心理サポートを受けたい方におすすめです。
医師対応はありませんが、心理師による丁寧なサポートが受けられます😊
褒め言葉の工夫 ―「偉い」から「事実を認める」へ
私自身も、子どもに「偉いね」と無意識に言ってしまうことがあります。
でも「偉い」には“他と比べて優れている”というニュアンスがあるため、誤解を招きやすいと気づきました。
そこで意識しているのが「事実を認める褒め方」です。
🍊 子どもを認める言葉
- 「最後まで取り組めたね」
- 「しんどい気持ちを言えたの、勇気があったね」
- 「こないだより1段階上にチャレンジ出来たね」
具体的な行動や気持ちに目を向けると、子どもは「自分の努力や存在が認められた」と感じやすくなります。
「偉い」という一言で済ませるより、ずっと自己肯定感につながっていくのです。
経験していない人には誤解されやすい
不登校を経験していない人から見ると、不登校家庭に向けた「偉いね」「ヒーローだよ」といった言葉が、
「不登校の子は偉い=登校児は偉くない」 という意味に受け取られてしまうこともあります。
でも本来の意図は比較ではなく、
「君自身の勇気や成長を誇らしく思う」 というメッセージ。
その違いを知ってもらえるだけで、見え方は大きく変わります。

まとめ ― みんな頑張ってる!!
子どもたちを「偉い/偉くない」で分ける必要はありません。
・学校に毎日通って努力している子
・不登校で自分を守りながら踏ん張っている子
・ぎりぎりの状態で通っている子
それぞれが違う条件で、見えない頑張りをしています。
だからこそ、「偉い」は誰かと比べるための言葉ではなく、
「君が人間的に成長していて誇らしい」という意味で使いたい。
そうすれば「みんな偉い」と胸を張って言える社会になるはずです。
今の社会はまだ不協和が多く、子どもも親も苦しいことが多いけれど――
私は願います。すべての子どもたちが、生き生きと笑って過ごせる社会になりますように。
❀moyu❀