■はじめに:「修学旅行だけ来たって、ズルくない?」
ある日、SNSで目にした投稿。
「〇〇くん、ずっと学校来てなかったのに、修学旅行だけ来たらしい。なんかズルくない?」
にいすけのことではなかったけれど、胸がざわつきました。
うちの息子・にいすけも修学旅行だけに参加したクチだったからです。
本人には見せなかったけど、私はひどく傷つきました。
今日は、不登校のわが子が修学旅行には行けた理由と、
日常の学校生活には戻れない理由について、
「うちの場合はこうでした」として書いてみます。
■ 本人も「行きたい気持ち」がある
うちの子は、決して「学校なんか行きたくない」と言っていたわけではありません。
むしろ、「行きたい」「みんなに会いたい」と、何度も口にしていました。
📖仲良くしてくれた友達との思い出
🏫行事や給食、ちょっとした日常の中の楽しみ
🫥置いていかれる不安や孤独
それでも、身体が拒否してしまう。
登校の準備をしても、腹痛・発汗・心拍上昇で動けなくなる。
「行きたいのに行けない」
――それが、何よりも本人を苦しめているのです。
■ 学校が“安全な場所”じゃなくなった
うちの子が不登校になったのは、小学5年生の終わりごろ。
それまでに、こんなことがありました。
👊突然、面識のない同級生にみぞおちを殴られる
🤛通り魔のように暴力をふるう上級生
🤜暴力をふるう児童が、学校にも習い事にも複数
👄贔屓や言うことがコロコロ変わる担任
🫣流血事件の目撃と、隠そうとした学校
🤡発狂した大人(精神的に不安定な教員)と1日過ごす体験
👿一部クラスメイトからの陰口
🤼習い事でも贔屓・不和
…これらが、たった2年ほどの間に次々と起こりました。
もはや、学校=安全な場所ではなくなったのです。
■ 息子は「ただの被害者」じゃない
うちの子は、ただ打たれ弱いわけじゃありません。
😠「やめて」と自分で言えるし、
🧑🏫信頼できる先生に相談もできていた。
💪何度も殴ってくる子に殴り返し、スカッとした経験もある
だから「いじめられた=学校行かない」という単純な話ではありません。
もっと複雑で、もっと根深い心のダメージがあったのです。
■ HSC気質と、限界突破したストレス
うちの子にはHSC(Highly Sensitive Child)傾向があります。(HSCの説明についてはこちら:ベネッセ教育情報)
感受性が強く、音や雰囲気、他人の感情にも敏感に反応するタイプです。
加えて、
🧡成長による身体と心のバランス変調
💓思春期特有のホルモンの揺らぎ
💜起立性調節障害(体位性頻脈症候群)の発症
といった心身の負荷が重なり、
まさに「限界突破」しました。
心のエネルギー袋が、破れてしまったような感覚です。
■起立性調節障害の息子が「行けた日」に隠された努力
その背景には、起立性調節障害(体位性頻脈症候群/POTS)という、目に見えにくい不調があります。(小児心身医学会による説明はこちら)
朝は起き上がるだけで動悸、立ちくらみ、吐き気。
頭が働かず、身体も鉛のように重い。
本人は「行かなきゃ」「行きたい」と思っても、身体がついてこない日々が続いていました。
それでも修学旅行には、「行ってみたい」と彼が言いました。
出発前日は眠れず、当日朝も「無理かも」とお腹をさすりながら準備して、
やっとの思いで集合場所に向かいました。
もし途中リタイヤだったら…と私も仕事を休んで待機。朝無理でも、日帰りで現地合流するか…?など色々考えてました😅
当日の参加は、「ズルい」どころか、命を削るような覚悟とエネルギーの消耗でした。
■ 修学旅行は行けた。でも、それは“治った”からじゃない
学校には行けない。
でも、修学旅行には行けた。
この矛盾のような出来事には、理由があります。
⭐️非日常のイベントで高揚感があった
⭐️普段とは違う環境・人間関係・空気
⭐️「楽しい思い出を作りたい」という本人の想い
⭐️そこに、ドーパミンブーストと、秘蔵の気力を総動員して、なんとか行けた。
結果、「楽しかった」と本人も言いました。
でも、それは回復ではありません。
たった一度きりの気力の使い切りだったのです。

■にいすけが帰宅後に教えてくれた言葉
今回は、にいすけ本人に向けられたわけではないSNSの投稿。
だけど、それでも、私の胸には突き刺さった。
「来てくれてありがとう」って、クラスの子に言われたよ。
どれだけ救われたか。
その一言に、私たちは報われたのです。
不登校児って、元から「不登校児」として生まれたわけじゃない。不登校に至るまでの学校生活も確かにあったんです。友達もいるし、思い出もある。だから「せめてその日だけでも楽しく一緒に過ごしたい」という思いで臨みました。
「お揃いのキーホルダー買ったよ!」とお土産(男子が大好きなドラゴンw)を見せてくれたにいすけの笑顔は忘れられません。
■ 「不登校あるある」にも“段階”がある
小児心身症外来の先生に教えてもらいました。
「学校以外の好きな場所へは行ける」
―そんな“回復の途中段階”もあるのです。
だから、イベントだけ行けるのはよくあること。
それを「ズルい」と言うのは、あまりに無理解です。
(不登校にも段階がある、のブログはこちら)
■ 気力の袋は、まだ直っていない
イメージで言うなら、うちの子の「気力の袋」は、まだ底が裂けたままです。
せっかく入れても、すぐにダダ漏れしてしまう。
だからこそ、
修学旅行のように“一度きり”の気力放出 → 可能
学校生活のように“毎日こまかく”気力調整 → 不可能
まだその“高度な技”は使えないのです。
■ 不登校の「理由」は一言で語れない
うちの場合、最初から「これが原因」と分かったわけではありません。
何ヶ月、何年もかけて
「もしかして、あれも関係あったかも」
「これも、無意識に傷つけていたのかも」
と、少しずつ紐解いてきた結果です。
だから、どうかSNSで簡単に断じないでほしい。
「イベントだけ行けるなら登校できるでしょ」
そんなふうに、決めつけないでください。
■さいごに
子どもは、楽をしたくて不登校になったわけじゃありません。
うちの子は、「行きたいと思っている自分」と、「行けない自分」をずっと責め続けています。
大人でもそうですよね。
心が限界を超えたとき、すぐには元には戻れない。
どうか、不登校の背景にある“見えない心のダメージ”に、ほんの少しだけでも想像を巡らせていただけたら、嬉しいです。
■ もし、身近に“イベントだけ行ける子”がいたら…
その子は、イベントに出ることで「学校とつながっていたい」という思いを表現しているのかもしれません。
“ズルい”ではなく、ようやく使えた一瞬の気力を振り絞った結果かもしれません。
どうか、その姿に、ほんの少しだけでも敬意を持って接してあげてください。
そして、そっと寄り添ってくれる言葉をかけてくれる大人が、もっと増えたら…と願います。
学校という日常は、回復途中の心にはまだハードルが高すぎる。
でも、行事なら頑張れる――そんな“回復のサイン”を、どうか受け止めてあげてほしいです。
同じような境遇の親御さんも、きっといらっしゃると思います。
私たちも手探りで、一歩ずつ進んでいます。
この記事が、少しでもその助けになれば幸いです。
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