『何で私は、母親なのに寄り添った声かけが出来ないんだろう…』
うちの長男が学校に行かなくなったのは、小学5年生の3学期のことでした。
最初は「一時的なものだろう」と思っていた私。少し休めばまた登校できると、どこかで信じていたのです。
でも、日が経っても、週が過ぎても、状況は変わらず。
気づけば、完全な不登校に。
頭ではわかっても、心が追いつくには時間がかかりました。
それは喪失体験のようだった
「不登校を受け入れる」――
それは、私にとって“我が子の学校生活”という理想の喪失を受け入れるプロセスでもありました。
心理学では、喪失や大きな変化に直面したとき、心は5つの段階(キューブラー・ロスの受容プロセス)をたどると言われています。
- 否認
- 怒り
- 取引
- 抑うつ
- 受容
この流れを、まさに私はたどっていました。
否認:「すぐ学校行くようになるよね?」
朝になれば起きてくれる。行きたくない日もあるよね。
そう思って声をかけ、ランドセルを用意して…。
「保健室からでもいいよ」「とりあえず行ってみよう?」と、なんとか登校につなげようと必死でした。
でも、長男の顔は、日を追うごとに曇っていった。
無理をさせていたのだと、今なら分かります。
怒り・焦り:「なんで?どうして?」
「理由が分からない」「もしかして甘えてるの?」
そう思ってしまう自分がいて、そんな自分を責める日々。
「このままで将来どうなるの?」という焦りも大きくて、
その不安に押しつぶされそうでした。
取引:「午後だけでも行けない? 習い事なら…」
あれこれ提案してみる。
「午後から行く?」「習い事は?」「月曜だけでも行けたら…」
小さな希望を見つけては、それにすがってしまう。
でも、期待して、裏切られて、傷ついて。
そんな私の言葉が、長男をもっと追い込んでいたのかもしれません。
“子どものため”と思っていたけれど、
本当は「不安な自分を安心させたかった」だけだったのかもしれません。
抑うつ:「どうして、こんなことに…」
学校にも相談しました。でも、思うような理解は得られず。
「病院に行ってください」と言われたとき、心がぽきっと折れた。
孤独でした。
電話を切ったあと、ぼろぼろと泣きました。
誰に話しても、まるで暗いトンネルにひとりで取り残されたような感覚。
受容:「この子の今を、そのまま受け止めよう」
時間はかかったけれど、少しずつ、心の中に変化が生まれました。
にいすけは、確かに学校には行けない。
でも、休みの日には元気に出かける。キャンプにも行くし、火おこし担当!マイクラで建築をするのが得意で、大会でも評価されてるみたい。
絵もよく描くし、手先も器用。
そして、とても優しい。
「不登校=何もできない」ではない。
“今のこの子”をちゃんと見よう。
そう思えるようになったのは、本当に最近のことです。
不登校は、親の受容の物語でもある
子どもが変わることよりも、
まず、親の中の「こうあるべき」という思い込みを手放すこと。
不登校は、親子で一緒に「心の再構築」をしていくプロセスなのかもしれません。

まだ、期待と不安、そして受容が繰り返し押し寄せてくる毎日ですが、
私は、子どもたちにとっての「安心できる基地」でありたい。
そして、「今」を生きるこの子を、丸ごと受け止めていたい。
そんな想いで、今日も向き合っています。
今、子供の危機に直面し、理想と自分の反応のギャップに愕然としているあなた。
あなたも、本当に心から子供を受け入れる為に、正常な反応を辿っているのかもしれません。
人間だもの。ましてや大切な我が子のこと。動揺するに決まってます!
私と一緒に一歩ずつ進みましょう✨️
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