「否定はしないけど、行くほうが良いと思ってるよ」──
そんな“空気”が、子どもには痛いほど伝わっているかもしれません。
最近、うちの長男にいすけ(中1・完全不登校)は、じぃじ・ばぁばの家にあまり長居したがらなくなってきました。
決定的に何かがあったわけではないけれど…なんとなく“居心地の悪さ”を感じているのだと思います。
Contents
■ 「行けた?」の一言が残す“重さ”
「どんな? 行けた?」
一見、何気ない、心配してくれているようなこの一言。
けれど、にいすけにとっては、ずっと重くのしかかっていた言葉でした。
もちろん祖父母たちは悪気なんてない。
でも──
- 「行けるようになったら安心だね」
- 「このままで大丈夫?」
- 「高校はどうするの?」
そんな“価値観の本音”が、言葉の端々やちょっとした表情ににじんでしまう。
本人は何も言わなくても、敏感な子どもには、ちゃんと伝わってしまうのです。
■ 言葉よりも“空気”を感じ取る子どもたち
「ここにいると、なんとなく責められてる気がする」
「自分は“ちゃんとしてない存在”だと思われてる気がする」
──そう感じたら、どんなに可愛がってもらっていても、居づらくなるのは当然かもしれません。
子どもって、本当に繊細です。
相手の言葉以上に、「心のトーン」や「空気」で、あっという間に察してしまう。
まるで、“目に見えない検問所”があるみたいに。
■ 大人だって苦しいですよね、 その問いかけ
たとえば大人だって、何かに挑戦できなかったり、自信が持てなかったりするときに、
- 「どう?ちゃんとやれてる?」
- 「うまくいった?」
って聞かれ続けたら、心がギュッと縮こまってしまう。
子どもも同じ。
行けないことに、本人が一番苦しんでいるんです。
「行けた?」のたった一言が、「行けない=ダメ」という烙印のように響いてしまうことだってあります。
📝子供が不登校になったときのジジババ世代との付き合い方(不登校 外部への対応 祖父母編:F-NVC協会)・ジジババ世代の出来ること(【祖父母の対応事例】孫の不登校、何かしてあげられることは無いのか?:不登校支援センター) の記事がありました。

■ 板挟みになる“親世代”
私たち親世代は、子どもに無理をさせたくない。
でも、祖父母は私のことも心配してくれているのです。にいすけが不登校になり、シンママの私がしんどいだろうって。それは本当にありがたい。けど、不登校になって一番辛いのはにいすけ。
私は、「伝え方」を工夫するようになりました。
たとえば──
- 祖父母には「“行けた?”はプレッシャーになるから、“元気そうでよかったね”って言ってくれるとありがたいな」と伝える。
- いすけには「じぃじ・ばぁばは、あなたを責めたいわけじゃないよ。ただ、“行けたほうが安心”って思っちゃう世代なんよ」とフォローする。
どちらの気持ちも大事にしながら、少しずつ理解の橋を架けていく。
■ 「学校に行けなくても、愛されていい」
最終的に、子どもにとって一番大事なのは、
“学校に行けなくても、自分は愛されている”と感じられること。
ジジババ世代と価値観を100%すり合わせるのは、もしかしたら難しいかもしれない。お願いをした後も、つい「どう?行けた?」と聞いてくることがあります。
でも、伝える前より気遣いは感じるので、言ってよかったと思います。
学校の話をしなくても笑って過ごせる時間を、少しずつ増やしていくことはできる。
- 一緒にご飯を食べる
- 昔話を聞かせてもらう
- 飼っているインコの話で盛り上がる
- じぃじも好きなマンガの話をする
そんな「学校じゃないところでつながる関係」を築いていけたら、
それはきっと、にいすけにとっても、祖父母にとっても、やさしい時間になるはずです。
■ 同じく、ジジババ世代との“認識のズレ”で悩んでいるあなたへ
「悪気がないのは分かってる。でも、子どもにはそれが負担になる」
そんな葛藤を抱えている親御さん、きっと少なくないと思います。
価値観や育ち方の違いはあって当然。
でもその“ギャップ”に、子どもが傷ついたり、私たち親が板挟みになったりするのは本当につらいですよね。
「甘やかしてる」「世代が違うから分からん」
そんな言葉で片付けられると、なおさら苦しくなります。
それでも私は信じています。
「子どもの気持ちを代弁できるのは、今そばにいる私たち親」です。
伝え方を工夫しながら、子どもも祖父母も安心して関われる場を、少しずつ作っていけたらいいですね。
❀moyu❀
オススメ
⇩我が子が不登校になった時、親も受容に時間を要します。ブログに綴りました⇩