不登校児のあるあるであろう、
『卒アル問題』。
去年度小学校を卒業したにいすけも、卒アルのための写真を撮りました。
今回の記事には、不登校児とその親が、卒アルに馳せた思いを綴りました。
卒アル写真、どうしますか?
小学校の卒業アルバムについて、学校から連絡がありました。
個人写真は別日に撮れるそうで、それは問題なし。日にちを合わせて行けば大丈夫。
けれど、集合写真やクラブ、委員会の写真については——
「合成で対応します」
先生はそう言いました。
6年生の間、息子は学校行事は修学旅行以外全参加していません。
にもかかわらず、あたかも“そこにいたように”写真を加工する提案でした。
正直…いらんけどな…
と内心思いながら、とりあえずにいすけの意志を確認することにしました。
「(合成写真)いらんよ」
そらそうよな…だって当日居なかったのに、後日浮き出てくるって。逆に悪目立ちせんのかしら…。
「配慮」の名のもとに、無理やり並べられる違和感
「仲間外れに見えないように」
「思い出として残してあげたい」
そんな“やさしさ”が、かえって窮屈に感じたのです。
実際にいなかった場所に、あたかもいたように写すこと。
それは、子どもに
「本当はいるべきだった」
「体裁を整えて不登校を無かったことにする」
そんな苦しさを与えるかもしれない。
少なくとも私はそう感じました。
大体、行ってない行事に思い出もなにもない…。
結局、学校側が必要だと言った、個人写真・集合写真の合成カットのみを撮影することになりました。
写真にこめた、にいすけの勇気
写真は、別日に撮影。この日を決めるのも、遠方から業者が来る日にちを直前に知らせてくるもんだから、仕事の休みと合わず、月日を要しました。
その日、にいすけはサイズアウトした制服を着ました(※買い渋った訳じゃなく、小学生の規格より大きくなった)。
6年生で唯一参加できた修学旅行と、この撮影のためだけに購入した制服でしたが、すでにきつくなっていて——
- 肩パツパツでボタン留めたら苦しそう
- 袖は短くて
- 緊張で大汗
2年間で急成長した身体には小さくなった制服。それでも彼は、その服を着て、学校へ向かいました。
顔は真っ赤で、髪は汗でびっしょり。ぎこちないカチコチの笑顔。
でもその写真には、彼なりにがんばった証が、確かに写っていました。

「いること」にされるより、「いた瞬間」を残したい
6年生の担任も校長先生も、異動してきて浅いので、彼のことを「不登校の子」としてしか知りません。
卒アルも、6年の活動を中心に構成されるため、にいすけの姿は少ないです。
けれどそれは、彼の6年間が空白だったわけではなく、それまでの道のりもあるのです。
5年生までの写真、修学旅行の笑顔、そして、あの汗だくの写真がすべてです。
合成じゃなくていい
見栄えのために無理やり並ぶ必要なんてない。
「不登校」だったからこそ、映せる姿がある。
窮屈な制服を着て、大汗をかきながら、それでも一歩前に出たにいすけ。
この姿はきっとずっと忘れません。
📝あとがき
この卒業アルバムの一件で改めて思いました。
6年生のクラブ活動や委員会・行事には、勿論にいすけは写っていません。
でも、急に現れる集合写真のにいすけ。
光の加減や空気感で、合成だと気付く違和感。
そして渾身の個人写真。
後日届いた卒アルを、にいすけがしげしげと眺めて一言。
「(合成)写真、めちゃ浮いとるねw」
ほんまそれ(笑)ある意味レア体験をして、唯一無二の写真が出来上がった訳です🤣
卒業は、それぞれの形で、
その子なりに迎えられたら、それで十分。写真なら、お出かけや日常で、自然な笑顔を撮ってるしね。
💬あなたのお子さんの卒アルはどうでしたか?
不登校や行事不参加など、
「写っていないこと」が心にひっかかっている方もいるかもしれません。
けど、お子さんが居たのは『卒アル写真の中』では無いはず。写っていないことこそ、紆余曲折しながら戦っていたことの証明かと思います。
親は、我が子の撮れ高が高い方が嬉しいですけどね(笑)
よければ、あなたの声も聞かせてくださいね🌿
オススメ記事⇓⇓