にいすけが描いた一枚の絵に、胸がキュッとした

シンママ

最近、にいすけが一枚の絵を描きました。
それは、スマホの画面に映るアニメキャラクターを、何度も見返しながら、鉛筆でゆっくりと模写したもの。
顔の輪郭、髪の流れ、目の中の光の入り方――
一本一本の線に、彼の集中と感性が込められていて、その絵を見た瞬間、私は胸がぎゅっとなって、涙が出そうになりました。

長男は今、中学1年生。
けれど、小学5年生の三学期から、完全不登校になりました。

当時、私も必死でした。「また学校に行けるように」と願い、声をかけ、励ましたり、時には厳しく接したこともあります。
最初は、習い事だけは通えていたけれど、だんだん休みがちになり、小6の夏休み以降は、それすらも難しくなっていきました。

にいすけは、人一倍まわりの空気に敏感で、集団の中で自分を出すことがとても苦手です。
学校や習い事で、突然の暴力や心ない言葉、理不尽な対応を受けてきた経験もあり、「学校に来る資格がない」と言われたこともありました。

その頃から、「自分には価値がない」と思い込んでしまったのか、最近もこんな言葉を口にすることがあります。

「どうせ俺は何もできない」
「生きてても意味ない」
「誰にも必要とされてない」

そんな言葉を聞くたびに、胸がぎゅっと苦しくなります。

けれど、そんな彼が描いた一枚の絵。
そこには、誰にも消せない“命の輝き”が確かにありました。

時間が止まったわけではありませんでした。
むしろ、表には見えなくなったけれど、心の中では深く感じ、考え、葛藤し、そして、自分を守るために静かに闘っていたのだと思います。



人の気持ちに敏感で、環境の変化にもよく気づき、流れを読んで動くのが得意な一方で、刺激が強すぎると傷つきやすく、自分の心を守るために“流れない”選択をしたにいすけ。

彼は、学校という空間の中で、誰にも気づかれないところで何度も心を傷つけられてきました。
それは土砂崩れのように、心を濁らせる出来事だったのかもしれません。


絵は、彼が自分で見つけた「安全な表現」

にいすけの中にはしっかりとした「表現する力」もある。
その一つが、絵でした。

人前に出るのは苦手でも、自分の内側を表現したいというエネルギーは、確かに彼の中にある。
誰に強制されるわけでもなく、静かに集中して紙に向かう姿は、それ自体が彼の「学び」だと思いました。

描いたキャラクターの目には、どこか憂いがあって、でも奥には優しさと芯の強さを感じました。
まるで、自分の心と重ねているようにも見えました。


学校に行く・行かないの二択ではなく、
この子のリズム、この子の世界、この子のペース――
そのすべてに意味がある。


一枚の絵が教えてくれた「この子はこの子でいい」

学校に行けなくても、彼は確かに生きている。
考え、感じ、そして表現している。
それが彼の「学び」であり、「成長」なんだと、私は今、心から思えます。

この一枚の絵は、ただの模写じゃない。
彼の中に流れる静かな力、繊細な魂、そして、生きる意思の現れ――
私にとっては、大きな希望の絵でした。

こないだ見てみた算命学では、にいすけの気質はとても柔らかく、状況に合わせて形を変えるけれど、周りの影響も受けやすく、時にすべてを抱え込みすぎてしまうこともある。

そんな水のエネルギーをたくさん持つ彼は、まさに「感じすぎる子」。
傷つくのも早く、自分を責めやすく、そして、言葉では言い表せない繊細な世界を心の中に持っています。

でも、それは裏を返せば、芸術や表現においてものすごい力を発揮できる資質だということ。
今回の絵を見て再確認しました。


絵を描いているときのにいすけの目は、静かだけれどキラキラしていました。
好きなことに没頭する集中力。
丁寧に仕上げたいという気持ち。
「自分はこれができる」と感じられた瞬間――それは、本当に貴重なことです。

学校に行けなくても、家で過ごす時間の中で、彼は彼なりのペースで、自分を取り戻しているようだと感じました。


「今のままで、大丈夫」

にいすけは、傷つきやすいけれど、優しさと表現の力にあふれた子。
今はただ、安心できる場所で、自分の感性を育てている時間なのだと、そう思えるようになった1枚の絵でした。

ちなみにこの絵は本人的にも良い出来らしく、「写真撮って!」「インスタに載せて!」 と申しておりました🤣

このブログは、にいすけ天才!って趣旨ではなく、楽しんで描いている様子や、なんだかにいすけらしさが表現されていて嬉しかった🥹って内容ですので、悪しからず…🙏

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