にいすけ(長男)が学校を休みがちになったのは、小学5年生の頃。
2学期も半ばに差し掛かる頃だった。
最初は「ちょっと疲れがたまったのかな」くらいに思っていた。
でも、ある日、担任の先生からこんな言葉をかけられた。
「年間で30日を超えると、市町村に報告しなきゃいけなくなるんですよ…」
「そろそろ出席してもらえると…」
申し訳なさそうに言ってくれたのは伝わったけど、私はこのとき、少し心がザワついた。
不登校の“定義”というハードル
あとで調べて知ったのが、これ。
文部科学省が定める「不登校」の定義。
『心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因により、児童生徒が登校しない、あるいはしたくともできない状態にあることで、年間30日以上欠席した児童生徒(ただし、病気や経済的理由によるものを除く)のことを指します。』
つまり、「30日」を超えるかどうかで、“不登校”としてカウントされるか否かが分かれる。
市町村に報告が必要になるのも、このラインを超えたとき。
子どもの心より先に、“数字”が来る現実
そのとき私は、不思議な気持ちになった。
「にいすけの心の疲れは、まだ“29日分”だから大丈夫」
そんな風に考えていいはずがないのに、
どこかで“出席日数の帳尻合わせ”を求められているような空気を感じた。
にいすけは、疲れていた。
学校という場に、ちょっとずつエネルギーを吸い取られていた。
それでも、本人なりに頑張って通おうとしていた日々を、私は見てきた。
なのに、「30日」の数字ひとつで、それまでの気持ちが何か線を引かれたような気がして、切なくなった。

「不登校」というラベルをどう受け止めるか
「不登校です」と呼ばれるかどうかに関係なく、私の中では、にいすけの“しんどさ”は最初から本物。
数字のために登校させることが目的じゃない。
子どもが、自分を取り戻すことが大事。
今ならそう、胸を張って言えます。
子どもの心を守るために不登校に対する基本的考え方
不登校は「心が疲れている状態」から生じる。
・体調を崩して身体に自信をなくした
・いじめや友達関係のトラブルによって不安が高まった
・勉強がわからなくて学校がつまらない
・単に「面倒くさい」
・社会的逸脱行動(不良行為)に走る
これらはそれぞれ違う症状ではありますが、将来に対して希望を持ち、意欲を持って前向きに生きることができない状態という観点からは、同じ「心の疲れ」に分類されるそうです。
不登校傾向の治療は、そういった「心の疲れ」を緩和し、意欲を高めることにあります。
疲れが激しい場合には十分に休ませ、その上で、子どもが意欲を持って取り組めそうなことを、家族と一緒に考えていく姿勢が大切です。
どんな子どもでも「何かに取り組んで、自分を磨きたい」という思いをどこかに秘めているものです。そのことを信じ、動き出すきっかけを家族とともに探しながら、日々を過こしていくようにしましょう。
また、意欲が生まれるためには自信が必要です。そして、自信は「よい経験」すなわち「成功し、周囲から認められた体験」から生まれます。
ほんのちょっとしたことでいいのです。「できた」という体験をさせ、それを周囲が認めていくことの繰り返しが大切です。子どもの状態にあわせて、少しだけ頑張ればできそうな目標を立て、到達できたらほめる。
それを家族と協力しながら根気よく続けていきます。人の気持らは簡単には変わりませんから、変化を及ぼすには長い時間がかかります。ときには本当に意味があるのか不安になることもあるでしょうが、信じて待つ姿勢が大切です。
上記は、冨田委員(日本小児心身医学会)さん の提出資料から引用したものです。
終わりに
不登校は、数字で測れるものじゃない。
だけど制度や報告は、どうしても「ラインを引く」ものになる。
そのギャップの中で、親も先生も、そして子ども自身も揺れ動く。
でも私は、にいすけと向き合いながら思った。「たとえ“不登校”と呼ばれなくても、困っているなら、それはもう“SOS”なんだ」と。
もし今、同じように「30日」のカウントに悩んでいる誰かがいたら、
どうか数字だけを見ないでほしい。
大事なのは、「今、子どもが安心しているかどうか」だから。
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